沿革

パール工業の歴史の始まりは1953年創業の「太平高周波研究所」。プラスチック工業が急伸した1960年代から事業は成長軌道に乗り、1968年に日本の輝きを象徴する“真珠(パール)”を冠した社名に改称しました。1990年代以降、アメリカやアジアに事業拠点を設け、私たちの技術は世界で輝きを放ち続けています。


創業当時、祈願に訪れた住吉大社にて
<1953年>“先見の明”で会社を創業

ラジオなどの訪問修理を請け負っていた先代社長(創業者/故・木戸義元)が、たまたま手掛けた高周波ウェルダーの修理。これが機となり、先見の明で自ら会社を立ち上げ、パール工業の歴史が始まりました。

<1959年>本社工場を立ち上げさらに発展

技術の改良を独自に追求し、高周波ウェルダーの量産に向けて本社工場を新たに開設。主に家内工業用の小型機械を製造していました。

<1960年頃>「ダッコちゃん人形」ブームで繁盛

ビニール製の人形を空気で膨らませて腕にはさむ「ダッコちゃん人形」が空前のブームに。その製造に欠かせない高周波ウェルダーを求め、本社工場の前には機械の完成を待つ人の長蛇の列ができたという逸話があります。

<1970年代>モータリーゼーションの波で急成長

欧米からモータリーゼーションの波が押し寄せ、国内の自動車産業は急速に発展。自動車部品メーカーから内装品を加工・製造する機械の発注が相次ぎました。当時の自動車の内張り素材は塩化ビニールが主流で、パール工業の高周波ウェルダーが大活躍しました。

<1980年代>培った高周波技術で半導体産業に進出

「これからは半導体産業が世界のメインストリームになる」という先代社長の先見で、高周波技術を生かしたRF電源の開発をスタート。当初は試行錯誤の連続で製品化のハードルは高かったものの、今では私たちの高周波電源は業界で“ニッチ・トップ”を独走するまでに成長しました。


PEARL & OKAYAの地元ケンタッキー州レキシントンの街並み
<1990年代>海外での事業展開を本格化

世界の自動車産業と半導体産業に貢献するために、アメリカ、韓国、タイに海外事業所を設立。パール工業には「東京に出張するのも海外に出張するのも同じ出張」という考え方があり、早くから世界に目を向けていました。

<2000年代>プラズマの医療用途研究も

国立大学法人愛媛大学との共同研究による「プラズマ遺伝子導入装置」が経済産業省の戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン)に採択されたのが2016年。プラズマによる遺伝子導入作用に着目し、医療・農業・水産分野での研究を続けています。

<未来へ>「会社は社会の公器である」の社是を胸に

自社技術を世の中に広め、社会のために、人のために貢献する。私たちパール工業は、急速に進化が進む次世代においても『会社は社会の公器である』の社是を胸に社員一人ひとりが真摯に努力していきます。

1953年10月 太平高周波研究所を創業、高周波ウェルダーの製造並びに販売を行う
1959年6月 資本金200万円を以て株式会社高周波研究所を設立、本社・工場を住吉区浜口中2丁目に置く
1960年9月 住吉区南加賀屋町に工場を新設し生産部門を移転する
1964年10月 東京精密光化学研究所を合併し東京事業部を開設する
1965年4月 名古屋営業所を開設する
1966年3月 資本金を2,000万円に増資すると共に、本社を住吉区南加賀屋町に新築・移転する
1968年12月 ホットスタンピング部門を分離、太平工業株式会社として独立させる
資本金を2,500万円に増資すると共に、社名をパール工業株式会社と改称する
1970年12月 光学部門を分離、パール光学工業株式会社として独立させる
1974年7月 資本金を4,000万円に増資する
1984年10月 資本金を8,000万円に増資、大阪中小企業投資育成株式会社の育成会社となる
1997年10月 岡谷鋼機株式会社と、米国に合弁会社PEARL&OKAYA, Inc.を設立
2002年7月 PEARL KOGYO USA,Inc.を米国サンノゼに設立
2005年9月 ISO9001を取得
2010年7月 PEARL KOREAを韓国 京畿道ヨンイン市に設置
2012年1月 SIAM PEARL KOGYO Co.,ltd.をタイ アマタナコン工業団地に設立
2013年4月 匠町工場を新築する
2013年11月 資本金を9,000万円に増資する
2016年7月 遺伝子導入装置開発戦略的基盤技術高度化支援事業に採択
2018年6月 PEARL&OKAYA,Inc.工場を新築する
2020年2月 匠町工場に第2工場(鉄骨708㎡)を新築する